あなたにしか見えない聖域にたどり着く方法

 

これから「ウル」が何なのかを書いていこうと思うのだけど、

「ウル」について書くなら、やっぱり先の「くう」の整理が必要な気がする。

私の備忘録として言葉を置いておこうと思う。

 

 

「コンフォートゾーンを抜ける映画」

 

もし「現状を抜けたい」なら、それは『自分が想定する現状』から出るしかない。

「そう簡単には行動に移せない」と思うかもしれないし、「その選択によって人生お先真っ暗だったらどうするの?」と次のアクションを咎める思考があるけど、それを黙らせて走った先にしか見えない景色ってある。

 

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「くう」という映画は、私にとってはまさにコンフォートゾーンを抜け出す映画だった。

遡って2013年、SNSに「ナレーター(表現者)として海外に行きたい」と書いて、テレビの仕事では使われないようなボイスサンプルを用意して投稿した。

それまでは明るくて万人ウケする(と思っていた)声を目指していたけど、私の声はどちらかというと陽より陰なので明るく表現することだけに違和感があった。それが醜くても否定されようとも嫌われても良いから自分で自分の本当の姿を見てみたくなった。そう一大決心してボイスサンプルを収録して営業に回った。

 

直ぐには仕事に結びつかず「需要はなかったのか」と諦めかけていたとき、そのボイスサンプルを見つけたのが「くう」の監督脇田さんだった。

 

脇田さんとの最初の出会いは「この人、痛風なんだよ」という紹介だったので、「大変ですね」しか言葉を交わさなかったのだけど、後日連絡をもらい「実は映画を作っていて、声優を探していたのだけど見つからなかったんです。そこから1年放っておいたことを自分でも忘れていました。ネットに出ているボイスサンプルを聞いたのですが、自分が制作している映画にイメージが合いそうです。一度話せませんか?」というような内容のメールだった。脇田さんが見つけたのは、私が自分の声を表現したいと思って制作したボイスサンプルだった。

 

脇田さんからは「この映画は自主制作で映画祭に出したいと思っている」という話で、今までの自分を全て出すような芸術的位置付けの作品なのかなと思い、私も自分の声でどこまで表現ができるかやってみたいと伝えた。

 

最初は台本をもらって、それを自分の家で収録して納品した。

 

ここまでやって大丈夫かなと思いつつ、脇田さんに提出するも一向に連絡が来ない。。。。

 

「しまった、やりすぎたか」と焦った数日後、脇田さんからの返信メールでより焦ることになった。

 

「映像と声を合わせてみたら、なんかしっくり来ません」

(やっぱりダメだったか・・・)

 

「なので画を作り直します」

 

え?うそでしょ?

この監督は何を言っているんだろう????

普通は映像と声が合わなければ、変えるのは声優じゃないのかな????

この監督の感性は普通じゃない。

この監督、ただもんじゃない。

 

冷や汗が出た。

「痛風の人」は遥斜め上を行く映像監督だった。

 

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そうして最終的に出来上がったのが「くう」

全部出し切ってそこにもう何もなくて、これは「くう」っていう感じだなと思っていたら、脇田さんから「この映画のタイトルだと思う?」と聞かれ、「くう」って感じですよねと答えたら驚いた顔をして「俺もそう思っていたんだよ、やっぱり「くう」か」となって生まれたのが「くう」

 

色即是空の仏教的な「くう」として名付けられたのでありません。

私は色即是空を知らなかった。

私にとって「くう」というのは感覚そのもの。

 

 

収録現場の話

 

映像がいよいよ完成して、脇田さんのディレクションの元、都内の収録スタジオで行われた。

 

「音になるかならないかのところで囁くように喋って」

 

恐らく人の中のその中に声を届けるということなのかなと解釈。そうするとハッキリした意識で言葉を話すのは違う気がして、瞑想する時間をもらい、「潜在意識と顕在意識の間」「起きている時と寝ている時の間」のちょうど境目のところで台本を読むことにした。

 

おそらくスタジオのエンジニアさんは「この収録大丈夫か?」と思ったはず。マイクのボリュームは最大値に上げられ、ボソボソとしゃべることばの滑舌は悪く、普通の公共伝播には乗せられない喋りのクオリティ。

 

でも、このことが映画で大事な要素だった。

監督は周囲の動揺におかまいなく、自分の意志を明確にディレクションに込めて進めて行く。

 

「瞑想したまま読み続けてくれる?」

「ここは降りて来たメロディー乗せてみて」

「ここは人間じゃない言葉で」

「ここは人間じゃない音で」

 

『私は人間ですよ』という返答はぐっと飲み込んで、「あぁ、この作品に関わるということは今までの仕事は全部来なくなるだろうな。でも声優だから収録が終わったら顔を出すことないし大丈夫か」という自分を納得させながら収録を終えた。

 

やっぱりこの監督、ただもんじゃないぞ。

マズイ世界に入ってしまったかもしれない。。。

 

人生の分岐点 3.11

 

映画の製作をしている間に、結婚が決まった。友人だった彼に久しぶりに再会して、付き合うことなく結婚が決まるというスピード婚。

それまでは「結婚できなくなるから目に見えないものが見えるとか人に言わないように」と親との約束が外れた瞬間だった。

パーツが揃うかのように歯車が回り始める。

 

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子供の頃から、地震などの災害は予知する能力があったので、「虫並みの触覚を持っている」と思っていた。

人と話している時に違うビジョンが見えるので「これが女の勘か」と思っていた。

亡くなった人が夢でメッセージを伝えてくるので「夢ってすごいな」と思っていた。

これを霊感というキーワードに繋げて来なかった。

幽霊とか怖いし、見て見ぬフリをしていたかったし、先にある「あんた、変なこと言っていると結婚できなくなるから言わないで」という母親の心配があったから、霊感はテストの点を取るため、会社で業績をあげるために使っていた。

 

それでも3.11の時はいつもと違っていた。

1週間前から体が言うことを聞かない。ものすごい無力感に襲われて、見えたものは東京がごっそり消えてしまったビジョン。怖くなって当時勤めていた職場には有給を申請し、実家にも帰ると電話をした。

母親も何か感じ取ったのか普段なかなか実家に帰らない私に「なぜ帰ってくるの?」「いじめにあってるの?」「良い人できたの?」と何度もその理由を聞いてくる。でも説明ができずに当日を迎えた。

14時30分には実家に着いていなきゃ。そう思っても残っている仕事も片付けなくちゃいけない。次いつ戻るかわからないから。

そうこうしている間に銀座の昼間の空は真っ黒になり、鳥がものすごい数で飛び始めた。

「間に合わなかった」

次の瞬間はもう揺れていた。

 

地震が落ち着いて間も無く、日本を脱出しようと思い立ち、タイに転職を決めようとした。でも、そんな簡単には行かせてもらえない。国外には逃げられなかった。

その時から声が聞こえるようになった。

「おまえは皆が本来の力で生きれるようサポートしなさい。」

 

そこから人間の本来の力ってなに?本質ってなに?と思うようになり、皆がそれぞれ持つ才能のタネを全て開いたらどうなるんだろうという興味が湧き始めた。まずは自分からだ。

 

しばらくして浅草寺に参拝した際にまた声が聞こえる。

「これからそのタネを開いて行くのは、音と光です。光に音を当てなさい」

そして脇田さんと「くう」に出会った。

 

「くう」は映画。

その判断や見方は人それぞれだと思う。

どの会場も1度たりとも同じだったエネルギーはない。

 

私がそれまでの世界を抜け出して、新しい世界に踏み出すきっかけになったのが「くう」。無邪気なまでに人を揺さぶって、隠していたものを全部出そうとしてくる。

 

興行が始まってから、しばらくは赤字続き。ボランティア。スケジュールは肉体的にハードで、どう対処して良いかわからない案件が続々届き、目まぐるしい変化に対応できず苦しかったり葛藤したりとあったけど、それは全て点で見た場合で、流れで見たときにそれは全て今に繋がる必要な要素だったとわかる。私の見えない世界の教育係はどうもスパルタだ。

 

そうこう頭を整理しているうちに、監督 脇田さんは次のハードルを簡単に持ってくる。

「正式にプロデューサーとして入って欲しい」

「くう」では何度も覚悟したと思っていたけど、人生は覚悟の連続で出来ているなと改めて思う。

 

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「くう」って何だったのか。

 

結局「くう」って何なのか。

覚醒体験映画って何なのか。

 

アトラクションみたいな映画だと思ってもらえれば良いのかな。

人それぞれが違うものが見える映画。

今まで私たちが等しく見えていたと思っていたものを根底から覆す映画。

 

なので、素晴らしい!愛そのもの!と感想を言う人もいれば。

こんな恐ろしいものを世に出して!怖い!という人もいる。

最高もあれば最低もある。

 

新しい感想に出会うたびに面白いな、凄いなと刺激されて来たけど、こんなに両極端に反応される「このプロジェクトに参加して良かったんだろうか」と思うことも正直あった(笑)

 

「生み出される」ということが神からの創造物だとすると、これが生きている子供だったらどう感じるだろう。

 

命が生まれるきっかけに携わることができても、顔も目も鼻も全ての創造の源に委ねられるしかない。

「くう」を子供だと思ったとき、誰が「こんな子を産むべきではなかった」なんて言えるだろう。

 

「くう」をどう見るか。

それは、その人の在り方でしかなくて、それこそ他人が介入できない聖域。

 

この世界に創造された「くう」は放たれた時点で独自のエネルギーを放ち

あらゆる人と交流をすることでエネルギーは変化され自立して行く。

 

「くう」は、創り手として参加したけど、あらゆる人と出会った「くう」はもはや誰のものでもない。

そして、創造されたそのエネルギーは神と同等で美しいものじゃないかなと思う。

 

2018年に公開された「ウル」は、「くう」に続いている。

「ウル」も公開してからどんどんエネルギーに変化が起きて成長している。

 

この2つがお互いに出会った人たちのエネルギーを纏って、どんな形の扉を開いて行くのか。

子供の成長を見守るつもりでついていこうと思う。

 

「くう」「ウル」を正面に置いたときに、あなたにしか見えない聖域にたどり着くと思う。